近年稀に見る良アニメ「シュタインズ・ゲート」の紹介記事を書いていたら
いつの間にか脱線して量子論に関する記述がかなり増えてしまったので
もう、そのまま膨らませて企画モノで上げることに。
題して「物理赤点の男が解説する量子論の世界」
いやいや、かえって、その位低レベルな人間が認識してる内容で解説したほうが
万人にわかりやすいと思いまして。
逆に言えば、あくまで飲み屋の席でちょこっと自慢げに語れる程度の
ざっくばらんな内容です。
ですので、致命的な破綻がない限りつっこみは無しでお願いします。
さて、一応冒頭の経緯を改めて説明すると、シュタインズゲートとは
大雑把に言えばタイムマシンをテーマにした作品。
んで、タイムマシンってのは量子論にも密接に関係していると言われていて、
作中にも「シュレディンガーの猫」「観測者」「収束」といった量子論の
キーワードが無数に出てきます。
でも量子論って名前は聞いたことがあっても、それがどういうものかってのは、
あまり知られてないと思います。
習うことは、まず無いでしょうし、一般人が習う必要がない学問です。
しかし、この量子論、近代物理学では相対性理論に匹敵する重要な発見と
位置づけられていて、私達の日常への有益性での観点で見れば相対性理論を
超えるとも言われています。
例えば、この画面を表示しているパソコンに使われている半導体等の
電子部品は量子論に基づいた原理で動いています。
相対性理論に匹敵する重要さで、相対性理論を超える有益性があるのに、
なぜ量子論は知名度が低いのか。
それは、量子論の内容が一般的な常識や感覚からは、かけ離れ過ぎており、
理解・納得するのが非常に困難だからだと思います。
例えば、相対性理論で語られる、重力や速度によって質量や時間の流れが
変化するっていう仕組みは、不思議には思いますが「まぁそうなんだろうな」と、
納得できる範疇ではないでしょうか。
ところが量子論の世界では粒子がテレポートしたり、見ている時だけ、
その性質が変わったり等々、我々の常識では受け入れがたい現象が
数々起こります。
まぁ、前置きが長くなりましたが、そういった常識ハズレの内容がなぜ成立するに
至ったかを今から解説していきたいと思います。
ではまず、いきなり。ズバリ量子論とはなんぞやということですが
ものっそい小さい物質(ミクロ)の世界を調べる理論。
そして、その世界で起きてる現象を研究する学問を
量子力学といいます。
では、なぜそんな学問がうまれたかというと、昔から物理学者の中で謎となっていた
「光」って何?という疑問から始まりました。
【 第一章 「光」ってなんぞ 】
天才科学者ニュートンは、プリズムにより太陽光が様々な色に分解することを
発見。光は様々な種類の色の小さな粒の集まりである。と主張した。
時同じくしてオランダの物理学者ホイヘンスは細い光どうしをぶつけ合い、光が
粒ならぶつけたら軌道に変化があるはず。変化がないのは粒ではなく波のように
空間を伝導するものだからだ主張した。
ここで一つの疑問が生じた。
光は粒なのか波なのか
ある学者はこう語る
「足元を見てください。影があるでしょう?光の粒が物体に当たって
遮られるから影ができるって子供でも分かる理屈ですよね」
一方、ある学者はこう語る
「光を水面に当てると、水面で跳ね返ったり折れ曲がって侵入したり
しますよね。これって反射・屈折っていう波の特徴でしょ。科学者の
世界では常識ですよ」
・・・という感じで光は「粒」なのか「波」なのかという議論はお互い決め手を
欠き数百年の時が経ちます。
ところが19世紀にヤングというイギリスの学者が2つの隙間から通した光で
「干渉縞」という波特有の現象が起こることを発見。
俄然、光=波説が有力になります。
そのまま波説で決まりとなるかと思った時。
「その結論は、この実験結果と明らかに矛盾します!」
と、反論した学者が出ました。
かの有名なアルバート・アインシュタインです。
アインシュタインは金属の板に光を当てると電子(マイナス電荷を持った素粒子)
が飛び出す光電効果という現象に着目。
これは光が波ではなく粒であり、光の粒がもつエネルギーを金属に入っていた
電子が受け取ることにより、ビリヤードの玉の様に弾き出されるから起こる現象だ
と主張しました。余談ですがソーラー発電の原理はこの光電効果を利用しエネルギーを
取り出す事で発電しています。
アインシュタインが提唱した、この「光ってやっぱ粒じゃね?」という理論を
光量子仮説と呼び、アインシュタインは、この功績によってノーベル賞を
取りました。
ちなみに相対性理論ではとってません。
んで、結局、再び粒説も有力になり、またどっちかわからなくなりました。
【 第二章 二重スリット実験 】
光の正体に悩み続ける物理学会。
しかし、ある学者 (これ以上人名出てくるとややこしいんで端折る) が閃きます。
「ヤングさんの干渉縞の実験を、もちょい改良したら粒か波か
わかんじゃね?」
という訳で行うことになったこの実験。
干渉縞を作るため2つの隙間(スリット)のある板を使うため
「2重スリット実験」と呼ばれます。
【用意するもの】
①電子を一個ずつ飛ばすことのできる装置「電子銃」
※ 光ではなく電子を使うのは同様の性質を持ちつつ、
一個ずつ飛ばせたり扱いやすいため。
②電子がぶつかったら反応する「写真乾板」
③2つの細い「隙間(スリット)を空けた板」
④隙間に粒が通った時に反応する「観測機」
まず、電子銃と写真乾板をある程度の距離を保ちセット。
その中間に隙間を空けた板を置きます。
板の隙間にはそれぞれ観測機を置いてセット完了。
( 画像 wikipedia 引用 )
電子が波なら2つの隙間を同時に通り、乾板には
干渉縞の模様が現れるはず・・・。
粒なら片方だけ通って、粒状に反応するはず・・・。
今、数百年の疑問に終止符が打たれる!
さぁ、いざ電子銃をシュゥゥゥーーーート!!
おおっ右の観測機が反応した!
右のスリットだけ電子が通過したぞ!
そして乾板には・・・・一個の粒!
ということは、やっぱり電子や光は粒やったんやーーー!
よっしゃー。あとは反復実験し、この結果が間違いない事を確認するだけや!
おっ次は左だけ通った、次は右、また右・・・・・・。
・・・・しかし、喜びもつかの間。
この反復検証で出た結果が、学者を更に混乱の渦に突き落とすのです。
数百回同じ実験を繰り返して粒の点が乾板に描き出した模様。
それが干渉縞だったからです。
( 画像 wikipedia 引用 )
電子銃を発射したとき、電子は片方の隙間だけしか通過していない、
そのまま行けば左右の隙間の先にある壁に真っ直ぐ着弾するはずです。
しかし、この実験結果からは1個の電子しか存在しないはずなのに
電子が何ものかに干渉されて着地する位置をずらされているのです。
その後、この縞模様はスリット間の幅を変えたりすると、模様の形も変化することがわかりました。
つまり、実験結果はスリットの位置関係に依存しており、間違いなく電子が
通過したスリットと逆側のスリットから出ている何かによって電子の位置が
干渉されていることは確定的に明らかなのです。
【 第三章 コペンハーゲン解釈 】
2重スリット実験によって逆に謎は深まったかに思えました。
しかし、ある学者がこんなことを言い出しました。
「何悩んでるの?実験で結果出たじゃん。
乾板で見えるのは「粒」で、その過程で起こる現象(干渉)
は「波」の物なんでしょ。
なら、そのまんま、電子は俺達が見てるときだけ粒になって、
見てないときは波になってんだよ」
という、一見とんでもない暴論を提唱したのです。
このように、見る人(観測者)によって結果が決まる(可能性が収束する)
という考え方を、量子論の育ての親と言われるボーア博士の研究所がある
コペンハーゲンの名を冠し「コペンハーゲン解釈」と呼びます。
さらに、光、電子等は、結局どんなに研究しても、波と粒どちらの特徴も
持っていて、どちらかに分類することが出来ませんでした。
それじゃあ、これもどっちにも分類できないなら波と粒、両方の性質を合わせ
持つ新しい概念「量子」っていうものにしちゃおうぜってことになりました。
さて、先述のコペンハーゲン解釈は現在の量子論の柱のような理論なので、もちょい
詳しく解説させて頂きます。
コペンハーゲン解釈では観測者が「見る」まで量子の状態は無数の
可能性の雲のようなものとして空間に広がっていると解釈します。
此処でいう「可能性」というものの考え方が非常に重要且つ理解し難いのですが、
例えば此処に9分割の仕切りのある箱があるとします。
箱の蓋がしまった状態で、その中に1個どこかの位置にお饅頭が入っています。
当然、箱を開けない状態ではどこにあるかわかりません。
この状態を、我々の一般的な感覚では
「お饅頭が1個、どこかに実在して入っていて、その可能性が色んな位置にある」
と考えるでしょう。
しかし、コペンハーゲン解釈では
「蓋開けない状態では、お饅頭は実体化せず、全ての仕切りの中で可能性の
状態で実在している」と考えるのです。
そして、その可能性のお饅頭が蓋を開けた人が「観測」した瞬間、どこかの
位置で実体化する。と解釈しているのです。
ですので、この考え方から、2重スリット実験で電子に干渉した逆側の
スリットからでた「何か」とは、観測していない状態で広がっていた、
逆側のスリットを通った電子の可能性の波にぶつかって起こったモノと
されています。
このような感じで我々の感覚では、「可能性の状態で実在してるとか」
「見た瞬間に実体化するとか」絶対そんなことありえんだろと、断言出来るくらい
おかしなコパンハーゲン解釈の考え方です。
しかし、何故こんな考え方をするかといえば、この理論を用いることで、
確かな事実である二重スリット実験の不可思議な結果を、今のところ最も
合理的に説明することができるからです。つまり、現時点ではこの現象が
事実であるという考え方が多数なのです。
そして、コペンハーゲン解釈を支持した学者は続けて
「量子がどんな状態になっているのかを見続けるのは
絶対に不可能。だから量子が出てくるとこも決められなくて大体の
確率でしかあらわせないみたいだよ」
という内容の理論を発表しました。
これはどういうことかと言うと、まず、量子を見続けるのは絶対不可能という
話から解説しましょう。
二重スリット実験の章で、こんなことを考えた方もいるのではないでしょうか。
「観測機をめっちゃ付けて電子の動きを追っていったらいいんちゃう?」
確かに現実世界であればそういった方法も可能です。
しかしミクロの世界ではそれは不可能なのです。
なぜなら、例えば観測機がカメラの様な物だったとして電子を観測します。
カメラが観測するためには対象に光を当てて跳ね返ってきた光を捉えて
映像を記録する必要があります。しかし電子は光と同じように小さい粒です。
これは現実世界に置き換えると飛んでるテニスボールに野球ボールを
ぶつけながらテニスボールの軌道を調べているようなものです。
絶対に正確な結果が出るはずがありません。
同じようにどんな手段を取ろうとも、光が当たっただけで結果に影響が
出るようなミクロ世界で、対象に全く干渉せずに観測する事は
絶対に不可能です。
さて、そういった条件で、その前の話のコペンハーゲン解釈を思い出すと
量子の世界では「観測」によって「結果」がきまるのです。
逆に言えば、観測してない(出来ない)ということは、可能性のままで、
状態は絶対確定しないというロジックが成立します。
この考え方を「不確定性原理」と言います。
さて、不確定性原理により、量子が動いてる時は、位置も運動も
確定出来ないという事になりました。
ということは当然、大体の確率でしか、電子の動きを予測することは
出来ません。
これを「確率解釈」と呼びます。
この「コペンハーゲン解釈」や「不確定性原理・確率解釈」のような、
あやふやで常識的には筋の通らない理論は、発表時から、沢山の高名な
学者から批判・反論受けました。
光量子仮説で量子論に貢献したアインシュタインもこの考え方に大反対
だった一人で「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を
残しています。
この言葉は、確率解釈のように大体でしか結果が決まらないなんて事が、
この世界にあるわけないだろ!という事を端的に示した物です。
しかしながら、その後どんな高名な学者が反証し続けても、
2重スリット実験の結果を筆頭に驚くべきことに、この理論は現在の
判明しているデータでは破綻しないのです。
それどころか、逆に沢山の反証を跳ね除け続けていることで
現在の量子論では主流とされる考え方になっています。
しかし、今日でも、なぜ観測者が見る事により可能性が収束(実体化)するのか。
なぜ、任意の位置に出現するのか、そこらへんの重要な仕組みがまるで
分かっていないのです。
ただ、こういう風な解釈をすると今のところ問題なく説明できるから
こまけえことはいいんだよ!
ということで採用されているだけで、量子論、コパンハーゲン解釈はまだまだ
発展途中の理論です。
ちなみに「コペンハーゲン解釈」と対を為す考え方に
「エヴェレット解釈」というものがあります。
これは、厳密に言えば違うんですが、要はパラレルワールド的な考え方です。
2重スリット実験の結果で言えば、我々がいるのは電子が粒として観測された
世界で、同時に電子が波で観測される世界が別ある、という考え方です。
ドラえもんの映画「魔界大冒険」では「もしもボックス」で入った「魔法の使える世界」
から一度のび太が現実世界に戻ってきて一件落着という風な体になった後、
魔法の世界は危機的状況に陥ったまま、そのまま存在しているという事実を
聞いて再び魔法の世界を救いに行くという展開があります。
これはまさしく「エヴェレット解釈」的な世界観ですね。
・・・と、そんな事を考えながらドラえもんを見ているという夢のない大人に
なったものです。
ただ、このエヴェレット解釈は誰も間違っているとも言えないかわりに、
あってるとも言えない。そして、この考え方をすると無限に世界が分岐していく
ことになり、コペンハーゲン解釈より更に理論建てが難しくなっているので、
主流とはなっていません。
【 第四章 シュレディンガーの猫 】
量子論用語なのに異常に知名度が高い、表題の「シュレディンガーの猫」
皆様もどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。
響きがカッコイイのと、何となく理解できる範囲で、程よく難しそうな事を言っている
ので色んな作品に登場させ易いからではないかと思いますがその真意について
理解するのは結構難しい思考実験(例え話)です。
シュレディンガーはオーストリアの物理学者で量子論の根幹ともいえる
シュレディンガー方程式というものを編み出した偉大な物理学者です。
シュレディンガー方程式ってのは激烈難しいのでさらっとしか触れませんが、
可能性の状態で無数に空間に漂っている量子がどこに出現(収束)する
確率が高いかを調べるのに使う計算式です。
つまり、先述の2重スリット実験の結果で言えばシュレディンガー方程式を
使うことで量子が沢山着弾(出現)する(縞になる)部分はここらへんだよってのを
導き出せるのです。
シュレディンガーはこの確率の状態から観測するまでの過程を
「波動関数の収束」と呼びました。
この波動関数の収束を巧みに使ったホラー小説に小林泰三氏の
「酔歩する男」という作品があります。
非常に面白いので興味がある方はご覧あれ。
ちょいネタバレ気味で内容を紹介すると、波動関数を収束できなくなった為に
永遠に可能性の世界をさまよう男の話。
(メ・ん・)?
なお表題は「玩具修理者」という本で、副題作品として収録されており、
「酔歩する男」では出てこないので探す時はご注意を。
さて、話は戻って、タイトルの「シュレディンガーの猫」ですが、量子論を詳しく
解説するための例と捉えてる人が結構いますがそれはちょっと違います。
シュレディンガーは、量子論の研究はしていたものの「コペンハーゲン解釈」の、
人が見ることによって量子の状態が決まるなんていうイミフな考え方が、
どうしても納得いきませんでした。そこで「コペンハーゲン解釈」に反論する目的で
この例えを出したのです。
【用意する物】
①蓋の閉まる箱
②猫
③毒ガス発生装置
④スイッチ
⑤量子
手元のスイッチを押すと量子に刺激を与えます。
この量子は刺激を受けると50%の確率で壊れる物質です。
毒ガス発生装置は量子が壊れたら反応し毒ガスを出します。
猫は蓋を締めた箱に入れられていて毒ガスを吸えば当然天に召されます。
この様な状況でスイッチを押しました。
コペンハーゲン解釈が正しいとすれば、
まず、量子を観測していないので量子が壊れた可能性の状態と
量子が壊れてない可能性の状態が同時に存在している事になります。
そうすると、毒ガス発生装置は毒ガスを出した可能性の状態と
毒ガスを出してない可能性の状態が同時に存在している事になります。
そうすると、箱の中では毒ガスで死んだ可能性の状態の猫と
毒ガスを吸わず生きている可能性の状態の猫が同時に存在している事になります。
( 画像 wikipedia 引用 )
ほらみろ!
生きている状態と死んでる状態が
重なってる猫ってどういうことだよ!!
おかしいだろ!!
てな感じで、シュレディンガーは量子論(ミクロ)の世界の事象を
現実(マクロ)の世界に連動させることで、最終的にマクロの世界で
起きる常識外れの結果の不可解さを問うたのです。
コレが「シュレディンガーの猫」と言われる思考実験です。
ここまで読んで頂いた方ならある程度理解していただけたかと思いますが、
この「シュレディンガーの猫」は「二重スリット実験の結果の不可解さ」や
「コペンハーゲン解釈」の理解。
その解釈に対しての反証(こうなったらおかしいでしょ)を、することを意図した
思考実験だという事を踏まえないと、その意図を取り違えて
「蓋を開けるまで猫が生きてるか死んでるかわからないなんて当たり前じゃん」
とかいった論点がズレた話になりがちです。
ですのでやたらと「シュレディンガーの猫」だけを取り上げ引用するのは
個人的にはどうなんだろって思います。
ちなみに、当のシュレディンガー博士はこのイミフがまかり通る量子学の世界に
嫌気がさして後に物理学者を辞めてしまいました。
【 第五章 超弦理論とM理論 】
今まで記述してきたように、量子の世界の法則は、我々の今までの常識や
物理法則では到底説明できないものということが分かってきました。
しかし、物理学者はこの状態が我慢できません。
同じ世界で起こっている事である以上、ミクロの世界もマクロの世界も一括で
説明する理論がきっとあるはずだ!
ということで研究されているのが、どこかで聞いたことはあると
思いますが(主にクラナド等で)超弦理論であり、この当HP名でも引用させて
頂いているM理論なのです。
これを説明しだすともうキリがないので・・・・っていうか超絶難しすぎて説明無理
ですので語りません。
そんなわけで長々と偉そうに量子論を語らせてもらったワケですが、
もう一度タイトルを思い出してください。
頭の良い人にドヤ顔で話すときは自己責任でお願いします。
「物理赤点の男が解説する量子論の世界」
~ 完 ~ |